私とレクリエーション史

鎌倉市レクリエーション会長 若木一美氏

若木 一美氏

 私が活動を始めた昭和45年(1970年)は学園紛争が終了した直後であり、また、昭和38年(1963年)から始まった集団就職専用列車は昭和39年(1964年)のピーク時には延べ3,000本運行される等、行政は勤労青少年対策に力点を置き、神奈川県では一市一館の青少年会館建設が始まり、昭和51年(1966年)4月には第一号として横浜市に紅葉ヶ丘青少年会館を開館し、昭和49年(1674年)の津久井・座間・海老名を最後に21館を整備しました。(会館主催事業としてレクリエーション関係も取り上げられ、行政主催の研修会も多数開催されていました)

 当時は横浜駅西口周辺の喫茶店には団体ルームがあり、そこへ行かないと人に会えない頃です。歩きながらでもガラスの向こうに人の顔が見える現在とは大きな違いでした。

 青年たちはそこに集い、「レクリエーション」と称したゲーム、ソング、ダンスを中心に活動し、その中からリーダーが生まれ野外活動や軽スポーツ等さまざまな活動がありました。

 いっぽう日本レクリエーション協会指導者養成の歴史をみると昭和21年(1946年)スクエアダンスからレクリエーションが始まり、昭和26年(1951年)から昭和37年(1962年)までレクリエーション指導者検定制度が始まり、昭和37年(1962年)には初級・上級の二段階制となり、昭和44年(1969年)には課程認定校の前身で仙台大学社会体育コースの学生を対象に養成が始まり、この時日本体育大学、滋賀大学、筑波大学(当時は東京教育大学)でも行われました。平成2年(1990年)からは現在の課程認定校制度が発足しています。

 そして昭和48年(1973年)には、2級・1級・上級と3段階の制度となりました。このような時代背景でした。

 昭和50年代(1975年~)に入ると、ここが私達だけではなく、他の各種団体にとっても一つの大きな転換点だと思います。ゲートボールやオリエンテーリング、クロッケー、インディアカ等のニュースポーツと呼ばれる活動が入ってきました。鎌倉市でもインディアカを民踊協会のみなさんが始めました。「健康的な楽しみの生活化」が始まるとともに、専業主婦の低下、大学進学率の増加、地域での人とのつながりが薄くなり始めたころと社会環境が徐々に変わりつつあり、またこのころ「ボランティア」という言葉が聞かれるようになりました。集団活動から個の活動へ移りつつあった頃です。私も「鎌倉ボランティアビューロー」という団体でゴミを拾いながらハイキングをする「クリーンハイキング」や「市内の福祉施設で軽スポーツ活動」を行いました。

 地域でのつながりが薄れるなか神奈川県では「ふるさとまつり○○」というような事業が推進されました。

 昭和も終わりの昭和63年(1988年)文部省で「生涯スポーツ課」と「競技スポーツ課」の2課分割が行われ、昭和61年(1986年)保健体育審議会がスポーツ指導者の民間資格の一本化を目指し「社会体育指導者認定制度(案)」を策定し、日本レクリエーション協会は数年間にわたる協議の結果、平成5年(1993年)4月1日付け文部省告示第49号により文部大臣認定社会体育指導者の知識・技能審査事業「レクリエーションに関する指導者」の事業認定団体となり、「レクリエーション・コーディネーター」(生涯スポーツの指導者)が誕生し、30年近くが経過しようとしていますが、私はここが混乱の始まりだと思っています。

 この直後の平成8年(1996年)名古屋市で開催された50周年記念大会で、日本レクリエーション協会総裁の三笠宮寛仁親王殿下からレク・サミットの提案があり、その中で「現在のレクリエーション運動は制度疲労を起こしている」とのお言葉がありました。

 平成元年(1989年)6月坪内会長が就任時に発表した「余暇関連資格」があります。この頃は世の中「バブル景気」まっただ中であり、余暇を有効活用する提案ができる、あるいは起業できるのではないかという思惑もてつだい瞬間的に人気がでた資格だろうと思います。しかしバブル景気も長続きはせず経済状態もバブルがはじけたその時にレクリエーション資格もはじけてしまったのかもわかりません。

 また、平成7年(1995年)に文部科学省が提唱した「総合型スポーツクラブ」も始まりました。これが二つ目の転換点だと思います。

 三つ目の転換点は、地方自治法の改正。これは大きいと思います。平成15年(2003年)6月13日公布、9月2日施行された「指導管理者制度」です。民間事業者の活用により住民サービスの質の向上を図ることを目的に制度化されたもので、平成10年(1988年)法律第7号の特定非営利活動法により誕生した法人格を持つ総合型スポーツクラブが指定管理者となる等行政の方針も変わり、行政とともに活動していた私たちの活動形態に大きな影響を与えています。このことは現在地域協会が解散や退会をする大きな要因であると考えられます。

 私の団体ではこの頃から既存団体の枠を超え、ゆるやかな連携でレク・スポ協・スポ指・一般市民・学校の関係者がどの種目協会にも属さない種目普及や野外体験活動・マリーン事業を展開しています。

 この構想は神奈川県が平成9年(1997年)に「かながわスポーツ振興会議」を設立し、県内のスポーツ・レクリエーション組織を一本化させたいとしていましたが、あることから突然新聞発表されて実現しませんでした。余談ですが、その日は関東甲信越ブロック会議が新宿で開催された2日目の朝でした。参加者、日本レクリエーション協会関係者から用意された議題ではなく、質問攻めにあったことを昨日のように覚えています。

 過去を振り返りながら検証してきましたが、私がこの50年かけて学んだことは次の3つに集約されます。

 「やってよかったレク活動」。ゲーム・ソング・ダンスは子供やグループ・」各種集いで今でも用いられる活動であること。インディアカやグラウンドゴルフ等の多様な運動領域活動。ウォーキングやキャンプ、野外活動等すべてがレク活動を通じての人間交流です。
 「学んでよかったレク運動」。レクリエーションの歴史や目的、ルールの学びや遊びを通じての人間交流。体の仕組みや救急法そして一番大切なことは、人からの学びであると考えています。
 「もってよかったこの仲間」。活動から得られる多くの仲間、ここで私がレク仲間と呼ばないのは、この活動をする仲間の外側にいる人も含めた大きな仲間、という意味で「この仲間」と呼んでいます。

 結びにあたり、私たちに必要なことは
①レクリエーション活動で一般市民に伝えたいことはなにか。
②レクリエーション運動として取り組むべきものは何か。
③特定集団に帰属しない人が増えるなか、現在の組織をどうのように変革していくか。

 活動のきっかけは特定の種目を勧めるのではなく、いろいろな活動を経験していただき、その中から自分に合った活動に取り組んでいただけること。そのために、レク指導者は専門分野の指導者と交流が十分できているかを検証すること?

 そして、発達段階に応じたプログラムが提供できているか?

私たちは行政の人的・財政的な支援により活動してきましたが、すでに限界であることを覚え、みなさまとともに運動を推進していきたいと考えています。

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