かなレク歴史ウォーク第一回開催

鶴見区の旧東海道を歩く

 12/8(日)県レクプログラム委員会(委員長:川島裕子)主催の、かなレク歴史ウォーク<鶴見区の旧東海道をたどる>が開催されました。京急線鶴見市場駅をスタートし旧東海道を歩いて京急生麦駅までの約6kmです。県レク理事で鶴見区在勤の石綿久嗣氏に案内していただきました。

 今回のウォーキングのスタートは箱根駅伝で有名な鶴見中継所からです。駅伝のシンボルとして「ランナー像」があります。鶴見区制70周年を記念し、1997年に鶴見区商店街の寄付により建てられたとのこと。箱根駅伝の発祥時のエピソードをたくさんお聴きしました。活気のある場所で、今回のウォーキングのスタート地点としてぴったりの選択でしたね。(*^_^*)


 旧東海道に戻り、次に鶴見市場駅のそばにある「熊野神社」を訪ねました。平安時代に紀州熊野神社から勧請された由緒ある神社です。その一角には江戸時代に盛んに富士登山がされていた名残り、富士山信仰登山の『富士講』の碑がありました。余談ですが、富士登山には時間もお金もかかるので、身近で富士山をお祀りすることでいつでもお参りできるように、と造られたのが富士塚です。これから行く鶴見神社にはそんな富士塚があり、山頂には富士浅間社が祀られています。この高さ5m程の富士塚に登ることで同等のご利益があるとされたとのこと、江戸っ子のユーモアには感服ですね。(*^_^*)

 次は市場一里塚です。一里塚とは江戸日本橋から一里毎に設けられた塚のこと。ここは5番目の一里塚です。道の両側に塚を築き榎などの木を植えて作られたようですが、いまは碑だけが残っています。

 まもなく、江戸を出て最初に渡ると言われた「鶴見川橋」に着きます。この橋からは富士山や箱根の山々、海原に浮かぶ帆かけ船が見られて風光明媚なところだったらしく、多くの旅人や文人の心をとらえたようです。また橋のたもとでは鶴見名物で、お江戸日本橋にも唄われた「よねまんじゅう」が売られていました。いま鶴見駅近くにある「御菓子司清月」という和菓子屋さんが味を復活させ販売しています。今日は定休日でした。(;^_^A

 橋を渡ると鶴見橋関門旧跡の碑があります。ここは横浜開港とともに外国人殺傷事件が相次いだため、主要道の要所に関門を設置し居留地に暴徒が入らないよう不審な浪士等を厳しく取り締まるために設置された関所跡。向かいの家には「東海道武蔵國橘樹郡鶴見村字三軒家」「神奈川県橘樹郡生見尾村鶴見三家」と昔の地名を書いた表札の家があります。住所の変遷が見られて楽しいです。

 先の道沿いにあるのは「寺尾稲荷道道標」。これはレプリカで本物は鶴見神社境内にあるとのこと。寺尾地域を治めていた諏訪一族の藩主が、馬術上達を祈願し城の麓にある寺尾稲荷に日夜願掛けに来たという稲荷で、藩主が戦場において見事な活躍をしたことから、馬術上達の稲荷として多くの人が遠くから参詣に来たとのことです。

 そして横浜川崎界隈で最古の神社「鶴見神社」です。溶岩の上の狛犬が迎えます。境内の奥に進んだ右側にはいくつもの鳥居が並び、手前から大鳥神社・稲荷神社・秋葉神社・関神社・祖霊社・寿老人・清明宮と続きます。「清明宮」は、市ケ谷でともに自決した三島由紀夫と森田必勝の2人を祀っています。若かりし頃の三島由紀夫が、鶴見区内のバーの常連客でその経営者と親交があり、そのゆかりでこの地に建立されたそうです。さらに奥には熊野神社でふれた富士塚があります。なおこの富士塚は富士山の溶岩でできているらしいです。さらに神社の社殿も溶岩の上に建ち、入口の狛犬といいここでは溶岩信仰で、溶岩が重要な位置を占めるようです。
 鶴見神社のさまざまな祭事の中でも有名なのが「田祭り」。鎌倉時代から行われ、豊作を祈願する横浜最古の民俗芸能行事です。コロナ禍での中止を経てまた再開されました。横浜市地域無形民俗文化財に指定されています。

 ここ鶴見は川崎宿と神奈川宿の間にあり、休憩用施設としての「間の宿」がありました。宿泊は禁止です。間の宿で当時人気だった「信楽茶屋」はいまはラーメン屋として、「覇王樹(さぼてん)茶屋」はベーカリーとしてそれぞれ営業されています。

 次に向ったのはJR国道駅。鶴見線の無人駅で1930年の開業以来大きな改築はなく、高架下は開業当時を思い起こさせる独特のレトロ感があります。しばしば映画のロケ地にも使われているそうです。また外壁にある凹凸は、太平洋戦争の機銃掃射の銃弾の痕でそのまま残っています。昭和の雰囲気が残る駅の姿といま日常使用する人たちとのアンバランスがおもしろくもありました。

 そしてその国道駅の近くにあるのが「生麦魚河岸通り」。生麦は豊富な魚介類が獲れる町で、徳川将軍の食べる魚を献上した江戸時代から続く歴史ある魚河岸です。毎年11月下旬には「生麦旧東海道まつり」が開催され地域の一大イベントとなっているそうです。今回歩いたのが日曜日で、ほとんどの店が閉まっていたのが残念でした。

 しばらく行くと右側に赤い鳥居が見えてきます。道念稲荷社です。ここで行われている「蛇も蚊もまつり」は、およそ300年前にこの一帯で疫病が流行した時に、カヤで作った大蛇に悪霊を封じ込め、海に流して疫病を払おうとしたことが始まりとも言われています。 「蛇も蚊も出たけい、日和の雨けい」という独特のお囃子とともに、かやで作った全長20mの大蛇が町中を練り歩く姿は壮観で他では見られない、独特の祭りとして有名です。 かつては、道念稲荷神社が雄蛇、近くにある神明社が雌蛇を作り、両地区の境界で両蛇を絡み合わせたのちに夕刻に鶴見川の河口に蛇を流していたそうです。横浜市の無形民俗文化財に指定されています。

 江戸時代末期の1862年、生麦村付近において、薩摩藩主島津茂久の父、島津久光の行列に行き会った騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷した「生麦事件」が起こりました。尊王攘夷運動が高まっていた当時この事件の処理がもつれたため大きな政治問題となり、翌1863年に薩英戦争が勃発しました。「生麦ジャンクション」の近くにその碑がありいまも追悼祭が行われています。

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 今回は「鶴見を歴史をテーマに旧東海道沿いに歩く」という企画でした。鶴見というと幕末「生麦事件」のイメージが強く江戸時代の歴史かな?と思いきや、箱根駅伝や三島由紀夫に話が飛んだり、いまも続く伝統芸能、変遷等いろんな話を聴けて楽しい親しみやすいウォーキングとなりました。石渡氏のセッティングとしゃべりにみなさん納得の表情でした。
 次回は2/2(日)「神奈川宿を歩く」です。また参加します~(*^_^*)

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