
第2回かなレク歴史ウォークは、当初2月の予定が雨天延期となり3月2日(日)開催に。当日は初夏を思わせるような陽気でまさにウォーキング日和となりました。石綿講師の開口一番が「みどころ満載のコースだよ楽しみにしていてね~。ちょっと長い時間を歩くけどねぇ~~」。この一言に、参加者は「よっしゃぁ~」と気合十分!!(笑)
神奈川新町駅近くの長延寺跡・土居跡からスタートしました。ここは江戸からの東海道神奈川宿への玄関口にあたるところです。長延寺が開港当時オランダ領事館だったように、開港場となった神奈川では宿にある多くの寺が諸外国の領事館等に充てられたようです。フランス領事館となった慶雲寺(浦島寺)もその一つ。一方でアメリカ領事館の本覚寺やイギリス領事館の浄瀧寺などではペンキを塗ったりして領事館になることを寺側が嫌がったとか・・・。そんな中で、ヘボン式ローマ字で有名なアメリカ人宣教師のヘボン博士のように成仏寺を宿舎にして宗興寺に施療所を開き、のちに明治学院を創設するなどして我が国の教育にまで尽くし歓迎されたかたもいました。
街道北側には古戦場としても知られる小高い権現山があり寄り道をしました。幸ヶ谷公園という公園になっていて桜の名所でもあり住民の憩いの場となっているようで、この日も陽気に誘われて小さい子供連れで遊ぶお父さんも多く見受けられました。ここから見る景観には特筆すべきものがあります。眼下には東海道線・横須賀線・京急線等の線路が走り電車がひっきりなしに走ります。線路挟んだ丘陵はここと地続きだったとか・・・埋め立て用に切り崩されたんですね。西の方に目をやると青木橋。その先が横浜駅方面ですが開港当時青木橋より先は海でした。明治5年日本最初の鉄道が新橋・横浜間で開通しましたが、当時の横浜駅(現桜木町駅)までの線路は、海沿いを埋め立てて敷設されたそうです。それに尽力したのが高島嘉右衛門という人で、そのため埋め立て地は高島町とよばれています。いまの横浜駅は海を埋め立てて造られています。権現山から見る風景は当時の面影を全く感じさせませんが、先人たちの労苦は大変なものだったでしょうね。
変わっていくと言えば勝海舟の設計で神奈川台場がつくられ大砲が置かれて港を警護していました。いまでは周りの埋め立てが進み高層ビルやタワーマンションの建設で石垣の一部しか残っていません。近くの電柱に綿花町という表記がありました。むかしここには綿花の倉庫があった名残りらしいですが、すでにその町名は消失しています。でも綿花町の名前は不滅なのかも・・・。近くにコットンハーバーと呼ばれる地区が出現し高層マンションが立ち並んでいました。
震災や戦火を経て旧東海道の面影も徐々に消えていき、また大規模な開発の進行により近代的に生まれ変わっていくヨコハマ。少なくなった歴史的な遺産ですが昔日に思いを馳せながらのウォーキングは見どころたっぷりの楽しいコースでした。
それにしても笠䅣稲荷神社のマスコット犬“美笠ちゃん”には癒されたなぁ~~(*^_^*)


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